My First Day in Africa

(下書き)

ICCのAfter Partyを途中で抜け、そのままドバイを経由してチュニジアへ向かった。自分の席にCAが集まってきたり、後ろのアラブ人と喧嘩したりと、まぁ20時間も機内にいれば色々な事件が起こるわけだが、今回の旅の本質では無いので割愛する。

さて、無事(?)にチュニジアへ到着したわけだが、空港から一歩踏み出し最初に感じたのは「匂い」だった。良くないというか臭いというか、ドブの匂いがして普通に不快だった。 後でわかったことだが、チュニジアではどこに行っても何かしらの「匂い」があるように思う。良い悪い含め、無臭の空間が無い。

次に私を不快にしたのはタクシードライバー達だった。海外でカモられるという経験をしてみたいとは感じていたが、流石に1ディナール(チュニジアの通過)も持っていない状態で問題が起これば、ガチの警察沙汰になると思い無視をした。正確には無視をしようとした。 単にキャッチをしているだけなら良いが、顔を覗き込んで「Hey You! Taxi!?」などと叫び、あまつさえ私のキャリーケースを勝手に運ぼうとしてきた上、なんとこんなことが10m歩くごとに発生してしまったため、一度空港に戻り作戦を練ることにした。

さて、チュニジア警察と在チュニジア日本大使館の番号、そして「ラー・シュクラン(いえ、大丈夫です)」を携え勇気の再チャレンジ。ホテルまでは1kmほどなので歩こうと思ったが、ここで畳み掛けるように2つの事件が起こる。 一つは、目の前で普通に交通事故が起こったこと。走ってきた車が別の車の先端に接触し、事故だなぁという鈍い金属音が響く。日本では普通に警察へ通報だが、その後彼らは何事もなかったかのように走り去っていった。改めて周囲を見てみると、凹んでいない車の方が珍しい。そういう国なのね。 そして二つ目の事件は、歩道が途中で消滅し、そんな危険な車道をでかいキャリーを引いて歩かなければならないことだった。ラー・シュクランでは太刀打ちできないだろう。

そういうわけで再度空港へ引き返し、目をギラつかせている(ように見える)タクシードライバー達の中から、最もマシな一人を選択をし乗ることにした。つまり、目をギラつかせてこちらを見ている「だけ」のドライバーを探した。 結局、そいつと交渉をしている途中で他のドライバーが集まり喧嘩が始まって一悶着があったが、舞台が空港から進まないのでもう割愛する。$10を手渡し無理やり乗り込んで出発させた。英断だったと思う。

予約していたホテルへ到着し、荷物を預け、現地通貨ディナールを得るのは簡単だった。なぜなら英語が通じるから。いや、どちらかといえば話が通じるからか。

この時点で現地時間14:00であり、翌日のCTF決勝の前に観光をすることにした。

ホテルのスタッフにタクシーを呼んでもらい、Sidi Bou Said の海岸へ向かった。

チュニジアはアフリカ大陸最北端に位置し、地中海に面した国だ。 アフリカプレートとユーラシアプレートが衝突している場所であり、またハドレー循環で降下してきた大気の一部が北に流れるため大量の砂が砂漠から運ばれる土地でもある。 その影響か、大小さまざまな湾や砂州が生まれ、現在に至るまで安全な港として使われている。

最初にフェニキア人が入植し地中海貿易で栄えた。その後はローマ帝国に征服され多くの建物が破壊されてしまったが、現存している物は「カルタゴ遺跡」として世界遺産へ認定された。 更にその後、アラブ・イスラム勢力が支配し、フランスによる植民地化を経て現在へ至る。

わざわざ慣れない地理歴史解説をしたのには理由がある。というのも、Sidi Bou Said(とその周辺)はこれら歴史の影響を「縦」に感じることができる街だからである。

Sidi Bou Said に限った話では無いが、ここで生活していたアラブ人たちが日差し対策のため石灰で壁を白く塗った。上から街を見下ろすとその統一感に驚かされると思う。 車で市内を回れば至る所でローマ帝国の名残を見ることができるし、更に少し進めば世界遺産であるカルタゴ遺跡もある。 また、看板や話されている言語もアラビア語とフランス語であり、歴史を一つを圧縮したような印象を受けるだろう。

そんなうんちくを胸に秘め、いざ街へ降り立った私の第一印象は「臭い」だった。空港前とは比べ物にならない。なんというか、まぁ言葉を選びつつオブラートに包んだ表現をすると、人間の分泌物の匂いがする。 いよいよ気が滅入ってきたが、さりとてどこも臭いというわけではなく、糞尿エリアを抜けた先は活気とシトラスの香りに包まれた素晴らしい街が唐突に現れた。鼻が忙しい。

ぼったくられ実績と腹下し実績の両方を達成するべく、適当な屋台で生ザクロジュース(3000円)(あと渡されたお釣りが普通に少なかった)を購入し、昼食を取りつつ街を散策した。

まず、野良猫が至る所にいる。子猫もいる。これだけでこの街を心から好きになることができたし、子猫が擦り寄ってきた時点で縦の歴史とかもうどうでも良くなってしまった。 ただ、私は思わず少し触ってしまったわけだが、もし貴方がチュニジアに行くなら触ることはおすすめしない。 狂犬病は哺乳類が共通して有する神経細胞の仕組みを利用しており、これがチュニジア全土で蔓延してしまっているからである。当然猫も例外では無い。よく見ると誰も猫に触ってなかったな。

そんなこんなで、地元スーパーへ寄ってみたり、悪臭の原因を発見してしまったり、地元の子どもたちと遊んでみたりと、歴史の街あらため猫と悪臭の街を堪能し、程よい時間だったのでホテルへ帰るためタクシーの選定を始めた。

まず車体がボコボコなものを除外し、次にドライバーが喧嘩しているタクシーを除外し、その時点で一択になってしまったので声をかけ迂闊にも乗り込んでしまった。

びっくりするほど英語が通じなかった。Yes/Noも怪しいかもしれない。そのくせフランス語が異常に流暢だった。そういえば歴史の街でしたね。 しかし、このままでは旅のピークが野糞シーンと猫で終わってしまう。せめて遺跡ぐらいはみたいので、引き下がるわけにはいかない。 身振り手振りと機械翻訳を駆使し、観光名所を回りたい旨をどうにかして伝えた。もはやあまり期待していなかったが、これがまさかの大当たりだった。

ドライバー(フランス語が通じると思っている)は何かを早口でまくし立てているが、どうやら綺麗な場所を案内してくれるらしい。 そうして海岸沿いの映えスポットを2,3箇所案内され、一緒に降りて二人で自撮りを取るまで仲良くなってしまった。

相変わらず何を言っているのか一つも理解できないが、一ミリのフランス語力と直感によると、どうやら各地の観光名所とその案内をしてくれるらしい。 ローマを見たいと言ったら遺跡に連れて行ってくれたり、カルタゴを見たいと言ったらカルタゴまで言ってくれた。

更に、ここからはもうよくわからないのだが、コーヒー飲む?飯食う?という話になり、その人の友人がやっているレストランに行くことになった。 ここで再度警戒レベルが上がったのだが、ここまで来たらもう突っ走るしか無い。

案内されたのは、チュニス湾を横に食事を取れる高そうなフレンチだったし、ピザを頼んだはずが2人分のフルコースメニューが出てきた。 海辺の優雅なレストランで言葉が通じない知らないおじさんとフルコースを楽しんでいる時点で意味がわからない。

流石に罠にかかったと思い少し焦り始めていたが、出てきた料理がマジで普通に美味しく、結局酒を頼みまくって楽しんでしまった。 何杯のんだか覚えていないが、隣の席にいたチュニジア人にダル絡みを始めた時点で流石にドライバーさんが止めに入り、そのまま会計をした。

いくらでも出したるわと思いながら財布を出したが、ここで本日何度目かわからないサプライズがあった。どうやらドライバーさんの友人割ということで、40ディルハム(1600円ぐらい)で済ませてくれるらしい。 2人分のフルコースとあの酒の量を!?

なんかもうよくわからない感動で多分泣いていた気がする。 その後、レストランの一人がタクシーに同乗し、ホテルに向かいつつ最後のドライブへ。

もう一生分の驚きと感動を得た気もするが、この最後のドライブもなかなか強烈だった。 前提としてチュニジアの道路交通が日本のそれに比べ危険なことは想像に難くないが、認識を改めるべきだろう。そんなレベルでは無い。

シートベルトをしない。運転中にスマホを見る。ウインカーを一切出さない。これらはまだマシである。

これは観光地巡りの段階からわかっていたことだが、彼らは基本的に速度を落とさない。交差点ですらブレーキ無しで曲がる。減速しないのだからシフトダウンもしない。結局、発進時以外はずっと3速以上に入っていたと思う。

本当に危険なのはある程度広く真っ直ぐな道である。彼らが車線をどう認識しているかわからないが、車の中心の目安だと思っている節がある。というのは少し言い過ぎだが、ともかく車線なんてあって無いようなものだし、彼らにとっては早くつくのが正義なのだろう。 二車線道路に三台が並走しているし、その実質三車線をふらふらと車が行き交い、当然ウインカーも出していない。それが速度120km/hで行われ、そんな道路を平然と人が横切っていく。

逆に信号を守っているのを見て驚いてしまったぐらいだが、これで成り立っているのだからそういう文化なのだろう。いや初手空港で事故ってたな。まぁそれも含めて文化なのだろう。

そうしてホテルに帰ってきた。請求されたのは100ディルハム(4000円)。格安過ぎるが、もう一生分驚いたので適当に$100ほど渡した。 すると電話番号を教えてくれた。曰く、電話してくれたら空港まで送ってくれるらしい。 2つ目に覚えたアラビア語は「シュクラン(ありがとう)」となった。

そんなこんなで私の初めてのアフリカ一人旅一日目は終わった。 なにか良い一言で締めたいが、あまりにも多くのことが起こりすぎたため適切な言葉が見つからない。

ただ、楽しかった。この日のことを忘れることは無いだろう。

追記: 白く統一された町並み、チュニス湾の夜景、数々の遺跡、及びおじさんとのツーショットを記事に挿入する予定である。うんこに関しては掲載しない。